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2010-05-24 00:00
(連載)タイの政治の今後(1)
茂田 宏
元在イスラエル大使
3月12日から始まったタイの反政府デモは、5月19日に治安部隊の攻撃を受けたデモ隊側が投降し、21日にアビシット首相が国民に向けたテレビ演説で「バンコックと各県の秩序を取り戻した」と宣言し、「国民和解のための措置を今後とる」と述べたことで、一応収拾された。タイ保健省は「5月14日から5月20日までに53名が死亡し、480名が負傷した。3月12日から5月20日までの期間全体では85名が死亡し、1898名が負傷した」としている。
今回のタイの騒乱は、タクシン派(赤シャツ)と反タクシン派(黄色シャツ、バンコックのエリート層とそれに支えられる政府)の対立とされている。これはその通りであるが、私には「それ以上に、この騒乱とその鎮圧は、タイの歴史に一つの区切りをもたらしたものではないか。そしてその波紋は、今後も続く」と思われる。王室の権威は大きく傷ついた。ブミポン国王は老齢で、入院中であったため、何らの介入もしなかった。介入しようにも、どういう介入が出来たのかと考えると、どうしようもなかったのではないかと思われる。タイ情勢の安定化要因としての王室の役割は、ほぼなかった。そして今後、その役割が復活する見込みもあまりない。
君主制の良さは、君主がすべての国民を平等に扱い、すべての国民のことを考えるという点にある。明治維新の際に、新政府は「すべての国民は天皇の赤子である」として、これを士農工商に分けた幕府を厳しく批判した。その上で、天皇は、政治を超えた存在として国家の安定を図る存在となった。実際はともかく、君主制の理念はそこにある。しかしタイ王室は、黄色シャツに加担しているかのような印象を与えてしまった。
軍は政府側に立った上で、自国民に対し銃口を向けた。85名の死亡者中、軍の発砲で死亡した人が何名いるのか、よくわからないが、「政治的に中立な、安定をもたらす存在としての軍」というイメージはほぼなくなった。国の混乱を政治的に中立な立場から介入して収める、という軍の機能や役割は、今後、期待できないし、されないだろう。(つづく)
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