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2010-03-25 00:00
我が国のナイーブな政治指導者たち
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
「ナイーブ」というのはフランス語起源の言葉で、「単純な」、「世間知らずの」、「だまされやすい」あるいは(行為・話が)「無邪気な」、「純真な」(ジニアス英和辞典)という意味。後の方の意味なら、別に悪いことばかりではないが、本来海千山千の強者であるべき人が、意外にこんな一面を見せたりすると、どう受け取ってよいものか、思案に余ることがある。
例えば、朝日新聞3月8日付け朝刊4面「風」欄に掲載された「北京駐在の市川速水」という署名入り記事は、その冒頭で「中国にとって歴史は体制の道具に過ぎないのか」と「考え込んだ」という。例の歴史検討の委員会に関連したコメントなのだが、中国為政者にとって歴史はおろか、社会事象のすべてが道具に過ぎないなどというのは、ほとんど常識に属することなのではないか。朝日新聞の北京駐在員と言えば、日本人の中では中国通に属すると考えるのが普通だ。そのひとがこのナイーブな発言というのは、その昔朝鮮人民共和国を礼賛したり、文化大革命を絶賛した新聞報道の名残が、まだこの新聞にはあるのだろうか、などと余計な勘ぐりをしてしまう。
同じナイーブさでも攻撃的になると、米国エヴァンジェリストの牧師がウガンダに出かけていって、同性愛がいかに許されざる所業であるかを力説。それかあらぬか、同国では、同性愛者を絞首刑に処する旨の法律が施行されそうだという。民主主義の伝道者が形を変えた趣があるが、米国のお節介も千差万別だということだろうか。
ナイーブさを見たければ、何も中国やウガンダまで出かけてゆくこともない。次から次へと口当たりのよいスローガンを考えだしていれば、「この国の政治が良くなる」といわぬばかりの政治指導者は、よほどナイーブであるに違いない。それが自称現実主義の海千山千のすれっからしと、輪をかけてスローガン大事なグループと連立を組んでいる現状は、誠に珍現象ではある。
見てくれの良い有識者を集めさえすれば、玉手の小箱のように妙案が浮かぶに違いないと思い込むのは、ナイーブと呼んでよいのか、それとも強かなアリバイ作りなのか、これは判じかねる趣がある。ビスマルクは、余に賛成する学者なら、馬車に一杯揃えてみせるといったとか。それくらいの魂胆で有識者を集めるのならともかく。あたら事務局のお役人の作文を追認するお集りになることがみえみえだとすれば、「官から民へ」と勇ましいことを言っては見るが、ホントのところは、あなたを頼りにしている、という意思表示かな。だとすればナイーブどころの騒ぎではない。
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