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2010-03-10 00:00
「能ある政治」は「農」を競う
岩國 哲人
前 衆議院議員
中国には「五風十雨」という言葉がある。五日に一回風が吹いて、十日に一回雨が降る。これが、中国古来から農村地帯における一つの願いであった。天地、自然の流れが順調で、今年もまた豊作であってほしい。弱い農家の人たちの天に対する願いの言葉が、中国の農村地帯の家の入口には今でも張られている。私はその言葉が好きで、出雲市長時代には、色紙を頼まれると、その言葉を説明しながらよく書いてきた。「日月火水木金土」。日本は、農業に必要な「日月水木土」の五つのすべてに恵まれている。今は大規模農業で、エネルギーの「火」と農業器具という「金」が必要となったが、依然として「日」「月」「水」「木 (森)」、肥沃な「土」壌に恵まれている。
これからの農業には、後継者もできて、「安心」して農業に取り組めるような農政を期待したい。「安全」なコメが「安価」で手に入るような、消費者にも配慮した施策と、安全、安価なコメが「安定」して供給されるような、国内自給にこだわらない、「四安」の国際自給体制の確立が、農家、消費者の共通した願いである。産業革命の世紀に続く二十世紀は、人口の爆発的急増と石油・領土を奪い合う戦争の世紀であった。科学と経済の発展が人類にもたらしたものは、豊かな人間性ではなく、それとは全く裏腹の、民族と民族、人と人が、一年後の食糧、五年後の資源、そして十年後の富を確保するための、憎悪と殺戮の世紀であった。その代表的な悲劇がアウシュビッツであり、「人間が人間を大量破壊」したヒロシマ、ナガサキである。
すべての動物の中で、他の動物を殺すために組織を作り、武器まで作っているのは、人間という名の最低の動物だけであることを、私たち自らが大量破壊兵器の被害国となって、痛切に知らされた世紀でもあった。貧困と飢餓が生活格差と憎しみを、そして戦争の原因をつくりだしてきたことは、人類の歴史が繰り返し証明している。それは歴史の一部どころか、いまや急速に、地球規模で広がりつつある。食糧価格の急騰は工業化に遅れた貧しい農業国から、農産物貿易自由化の旗印のもとに、食糧を奪い、それを買い戻す力さえなく、飢餓に苦しむ地獄絵が日を追って広がり、サミット会議の最重要課題とさえなっている。この苦しみをこそ、「経世済民」を唱える政治が救わなければならない。
アジアに必要なのは、軍事安保ではなく「食料安全保障」だ、と私が提案してから10年、ようやく政府は2006年4月に「食料安全保障課」を新設した。農産物貿易では規制緩和ではなく、再規制が、生産面では規制強化ではなく、規制緩和が必要になっている時に、日本の農政は、遅すぎて2周も遅れている上に、逆方向で走っていたのだ。農業、農村、農民よりも、農協と農地を大切にしてきたと言えるし、国粋性はあっても、国際性に欠ける。明日が見えても、未来は見えない。まずアジアから、そして広大なアフリカ大陸を視野に入れて、地球的規模の「共産」または「協産」体制に日本が主導力を示せるような、「農と言える日本」の農政を展開すべきではないか。水と森と土にとりわけ恵まれている日本は、食糧安保体制の有力な基地としての役割を果たせるだろう。
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