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2006-04-21 00:00
「日本でも中国でもないアジア」の健在ぶりを確認した
小笠原高雪
山梨学院大学教授
アジア情勢に関する日本のメディアの報道ぶりをみていて私がしばしば不思議に感じることは、「ASEAN諸国はいずれ中国に呑み込まれる」といった類の論調がなぜこれほど多いのか、ということである。たしかに東南アジアにおける中国の存在感は大きいし、東南アジアの人々が実利に聡いことも事実であるが、それにしても多くの議論はASEAN諸国の国家理性を過小評価しているように思われる。経済に分野を限定しても、ASEAN諸国が中国との関係を深めようとすればするほど、日本や米国などとの交流による国際競争力の強化も必要となるはずである。その意味において、ASEAN諸国の多彩な論客を招いて開催された今次の対話に参加し、「日本でも中国でもないアジア」の健在ぶりを確認できたことは、私にとってもさいわいであった。
もちろん以上の議論は日本とASEANの間に課題が存在していることを否定するものでは決してない。たとえば「地域協力のあり方をめぐる競合」が現在の国際政治の重要な一面であるとすれば、日本としてもASEANとの価値観の共有をいかに図るかが喫緊の課題であろう。この点に関しては、普遍的価値とアジア的価値の共存とか、欧米とアジアの架橋を目指すとかの両論併記的な議論は解答にならないであろう。日本としては専制への反対を共通のゴールとし、そこへのロードマップについてのみ一定の多様性を認めるという基本姿勢を明確にするべきだろうし、そうして初めて対話が具体化するのではなかろうか。
私の勝手な希望であるが、もしも可能であれば、集団としてのASEANとの対話のほかに、加盟国との二国間や三国間の対話の機会もときどきあればよいと思う。東南アジアは多様な地域なのであるから、そうした対話の場では集団の場とは少し異なる議論も期待できるであろうし、場合によっては次の「日・ASEAN対話」に何らかのフィードバックが発生するかも知れない。また、そうした対話にインドやオーストラリアといった第三国をくわえることも、議論の幅を広げることに役立つように思われる。
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