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2010-01-25 00:00
残念だった予算委員会の論戦
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
21日に行なわれた予算委員会の質疑応答が22日の多くの朝刊トップを飾っていたのはご承知の通りだ。NHKが中継していたが、ウィークデイの午後1時から5時という話だから、関係者でもなければのんびり眺めている訳にもゆかない時間帯だ。さいわいヒマなのを良いことに聞いていたのだが、話題のほとんどは首相と小沢幹事長の例のお金の問題だ。決してどうでも良い問題だとは言わないが、これほどの難局にある日本内政に立ち向かう予算審議の冒頭の議論としては、いささかならず考えさせられるものとなった。
谷垣氏の質問は迫力不足だなどという報道も見られたが、極めて紳士的で抑制のきいた質問の態度は好感が持てた。ただ、自分の持ち時間の過半を若手の自民党議員に委ね、これがお金の問題に終始する。まあ、若手議員の試金石にしよう、という親心があるのかもしれないが、ここは、その時間を谷垣氏自身が財政展望、日米安保(これについては、ごくわずかに質問の中でも触れられたが、普天間代案提示時期と、日米中三国間で日米基軸の再確認に終わった)からアジア政策、さらには少子高齢化といった基本問題に費やすべきではなかったか。
もしかして首相が、(失礼な想定だが)ブンガク的な片言雙句を呟く以外の表現能力を持たないことが浮き彫りになったり、それに比して(どれほど現実的かは知らないが)谷垣氏が該博な識見に基づいて的確な質問をしたりしたら、民主党の非力を印象づけることも出来たろうし、なまじの検察ごっこよりはよほど実りがあったのではないかと思うだけに残念だ。谷垣氏の側にそうした本質的な議論をする用意がなかったとは思いたくないが、この日の生産性の低い論戦(というのだろうか)を聞いていると、マサチューセッツ州の上院補選敗北時にオバマ大統領がその原因を分析した敗軍の将としてのコメントの格調の高さなどが思い出されてならなかった。
舶来崇拝ではない。政治的判断、施政の基本にある思想を、妙な既成・出来合いのレッテルを用いてではなく、誰にでも理解できる言葉で丹念に説明しようという態度のことだ。「友愛」政治とは何のことか。「国民の命を大事にする」政治とは「コンクリートから人へ」の同義語反復に過ぎないのか、それ以外のことを具体的に意味しているのか。小沢幹事長の傲岸不遜ともいうべき態度と、この首相の説明能力欠如とは、もしかすると同じコインの両側かもしれない。巧言令色鮮きかな仁、とか、薩摩の「議をいうな」とか、わが国あるいは東洋の文化の中には、そうした哲学はコトバではなく、態度と人格のありようで示されるべきものだ、という伝統があったようだ。それが民主主義とメディアの発達にうまく適応していない、と考えることも出来るかもしれない。ならばこそ、ツイッターなどでコトバの切れ端を垂れ流しているのではなく、系統だった思想の開示に向けて、ゴーストライターの知恵を借りてでも良いから努力されてみてはどうだろう。
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