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2010-01-20 00:00
小沢「同志」に盲目の“友愛”:鳩山国会答弁
杉浦 正章
政治評論家
「同志」とは「似たもの同士」のことか。攻守様変わりの国会論戦を聞いて、首相・鳩山由紀夫の抜き差しならぬ民主党幹事長・小沢一郎との一蓮托生路線を感じた。鳩山にとっては捜査当局より「同志」が大切であり、それゆえに総選挙における民意の支持は小沢疑惑まで含まれると曲解し、検察当局に「公正な捜査」を求める。これが答弁初日で浮かび上がった通常国会乗り切りの鳩山戦略である。これに母親献金については答弁しない戦略が加わる。そこには政治とカネの問題に対する「感覚マヒ」としか思えない姿が見える。野党はどう対応すべきかだが、一点に尽きる。この姿を国民の前にさらし続けるだけでよい。国民が判断する。
誰も「辞めよ」とまだ追及していないのに、鳩山は「身を粉にして国民のために働く」と述べた。その根拠は「総選挙前から(小沢疑惑などが)指摘されていた問題にもかかわらず民主党を選択した国民の期待に応える」とした。まずすべての前提にこの曲解がある。総選挙における民意はあらゆる調査が、反自民感情の受け皿としての民主党選択であるとしている。小沢疑惑は選挙の前も後も「説明責任を果たしていない」に高率で集約されているのあ。
それにもかかわらず鳩山は、「小沢氏が潔白を訴えるのは当然の権利であり、それを信ずるのが同志としての基本である」と“小沢擁護”を鮮明にさせた。この鳩山の状況判断は、小沢に対するまさに「盲目の友愛」そのものだ。つまり行政機関の長としての首相の立場をわきまえていない。わきまえていれば、検察当局が全力を傾注している事件を、「小沢の潔白」を前提にして発言しない。むしろ検察当局に懐疑心を抱いている証拠であろう。その次に続く「検察当局の公正な捜査を信じたい」がそれを物語る。これまで首相自らが最終責任を負う検察当局に「公正な捜査」を促した例があるだろうか。寡聞にして聞かない。しかし鳩山は、自分の“脱税”疑惑に関しては「私が知らなかったことは検察の捜査で立証された」と逆に検察の捜査を“盾”に使って言い逃れようとしている。こうしたやりとりを鳩山の「どうぞ戦ってください」発言と合わせて分析すれば、行政府のトップとしての立場をを自ら否定し、政治家としての道義的責任をも無視する姿勢が鮮明となる。
鳩山の姿勢は当然民主党内にも波及して、民主主義を標榜する政党とは逆の流れを生じさせている。昨日も警鐘を鳴らした「捜査情報漏洩対策チーム」に加えて、19日はなんと逮捕された石川知裕の同期当選議員らが「石川議員の逮捕を考える会」を立ち上げ、首相補佐官や政務官も出席した。検察当局が嫌がっている「取り調べ可視化」法案も提出しようとしている。すべての動きが検察へのけん制である。国民の目には正義なるものと邪悪なるものの対決の構図と映っていることが分からない。「民主党よ目を覚ませ」と言いたいが、ものに憑かれたように異様な雰囲気がおさまらない。すべては小沢一極支配がもたらしたものである。その支配者の言動を盲目的に礼賛する思考形態から脱しなければ民主党に未来はない。検察批判の前に頭の上をぶんぶん飛んでいる季節外れのハエを追うのが先だ。
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