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2010-01-05 00:00
(連載)2010年は日本の将来を考える節目(1)
若林 秀樹
元参議院議員
2010年の今年、日本経済の規模は中国に抜かれ世界第3位となり、1968年から42年振りに2位の座から転落する見込みだ。2009年に転落した可能性も否定できない。この転落は以前から予測されていたことであり、「単に名目上の国際比較で順位が下がるだけで、国民生活にはあまり意味がない」と言うのは簡単だが、この「米国に次ぐ第2位の経済大国」が敗戦国・日本の自尊心を支えてきたことは事実である。この3位への転落、そして更なる経済的地位の低下が、今後日本人の意識にどのような影響を与えるのか、計り知れない。今年は、改めて等身大の国力を冷静に見極め、骨太の議論を通じて日本の将来を考える絶好の機会にすべきである。
戦後の日本は、吉田路線(軽武装、経済優先、日米関係重視)の下で、経済面では飛躍的に発展し、経済大国、ストロング・パワー経済になった。しかしそれで失ったものも大きい。外交の分野で日本は、冷戦期の米ソ対立から、冷戦の終了、米国の一極支配、中国の台頭の今日まで、日米同盟の下で一貫して大国間に隠れたミドル・パワー外交を展開してきた。実態として日本は、日米安保の下で日本の国土防衛を米国にゆだね、政治的には米国の決定に常に追随せざるを得ない外交を繰り返してきた。
その結果として日本は、真の独立心を失い、経済成長で芽生えた大国としての意識と実際に行っている行動とのギャップに悩んだ戦後外交を歩んだ。この吉田路線の陥没を「経済大国」という自尊心が支え、また無意識の内にも国際貢献という名の下でその陥没を埋める作業を行ってきた。鳩山首相が「対等な日米関係」や「自立外交」を訴える根本要因もここにある。
憲法も日米安保も生れて約60年が経つ。戦後の日本において、外交の枠組みのみならず、日本の社会、国民の行動意識まで一番影響を与えたのは、この現行憲法(特に第9条)と日米安保であると言っても過言ではない。今年は、憲法で言えば、国会に憲法改正を視野に置いた憲法調査会が設置されて丸10年、安保で言えば新日米安保条約が締結されて50周年の節目を迎える。改めてこの大きな枠組みのあり方について、仮に同じ結果に落ち着こうとも、原点に立ち返った議論すべきときである。(つづく)
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