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2009-10-23 00:00
すべて制度にはその前提がある
湯下 博之
杏林大学客員教授
大学で法律を学んでいた頃、次のような話を聞いた記憶がある。刑法には「人を殺してはいけない」とも「人に傷害を与えてはいけない」とも書いていない。人を殺したり、人に傷害を与えた場合には、これこれの罰を加えると書いてあるだけである。刑法以外の法律を見ても、人を殺してはいけないとも、人に傷害を与えてはいけないとも書いていない。では、人を殺したり、人に傷害を与えることは、禁じられていないのか。
昔、古代ローマであったか、或る大金持が罰金用の資金を用意して、気に喰わない奴をこん棒で殴って歩いたという。彼は、相手に傷害を与えた場合には、法の定めるとおり罰金を払ったので、彼の行為は適法であり、悪いことをしたことにはならないと言えるだろうか。もちろん、そうではない。人に傷害を与えることは悪いこと、禁じられることであり、それ故にこそ、罰を加えられるのである。唯、そのことは法律に明記されておらず、当然の前提となっているのである。制度には前提があり、その前提が満たされてこそ、その制度が機能するということは、刑罰の制度に限られない。自由や民主主義の制度についてもそうであるし、市場経済についてもそうである。
個人の自由は憲法にも規定されている基本的人権であり、犯すことのできないものである。しかし、自由といっても、好き勝手に何をしてもよいということではない。好き勝手にやりたいことをするのは放しょう(わがまま)であって、他人の自由を犯したりする。憲法も第12条で「国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」としている。民主主義についても、多数決で決めれば常に良い政治が行われると言えるほど単純なものではない。投票者がお金で買収されたり、感情に流されて行動する場合には、衆愚政治になってしまうことはよく知られている。したがって、国民が一定の政治レベルに達していることが不可欠の前提である。そのような前提が満たされていることを確保するためには、教育や啓発を含む国民全体の努力が大切である。
百年に一度といわれる世界的な経済危機に発展した米国式マネー資本主義の失敗も、市場経済についての前提を見失ったことに起因しているように思う。市場経済の祖ともいうべきアダム・スミスは道徳哲学の枠組みの中で経済学を考えていたといわれており、市場に委せておけばうまく行くというのも、一定の前提に基づいてのことであり、やりたい放題が横行する場合にはうまく行かないということがはっきりしたと言えよう。したがって、これに対する対策も、規則を作ってそれに違反しないようにするだけでは不十分であり、倫理やモラルの高揚にも併せて努める必要があると思う。前提を忘れて制度だけをいじっていても、仏作って魂入れずになる。このことをよく考える必要があると思う。
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