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2009-09-11 00:00
ロシアで進むスターリンへの再評価
石川 純一
フリージャーナリスト
古今の英雄か独善的な独裁者か。いわゆる「偉人」に対する世論(国際世論も含む)の評価は、その時々に応じて変わる。その「偉人」の軌跡を書き記したものが歴史であるとするなら、必然的に歴史は時代に応じて変化せざるを得ない。さらに、歴史は、勝者の軌跡である。敗者のそれは、文字通り歴史の彼方に消え去って、一顧だにされない。この8月25日、駅舎の一部改修を終えたロシア・モスクワの地下鉄クルスカヤ駅。改修後の柱には、「スターリンの導きで人民への忠誠を学び、われらは労働と偉業へ進むのだ!」とのソ連国歌(1944年版)の一節が刻まれていたから、たまらない。すわ「スターリン復権か」と憶測しきりだ。
クルスカヤ駅に関する蘊蓄をひもとくと、駅の柱の横に走る構造物の表面に刻まれたこの装飾文字、1950年の同駅開設時に設置されたが、スターリンの死後、1957年に取り除かれていた。旧ソ連指導部(当時)が、個人礼賛の風潮を取り締まったためだったとされる。スターリン批判の真っ直中であるから、さもありなんというところだ。要するに、このスターリンをナチス・ドイツの毒牙から祖国を救った不世出の英雄とするか、それとも政敵を大粛正して、当時のソ連軍部を骨抜きした「とんでもない独裁者」とするかは時代につれて変化するということだ。
折しも、この9月1日は、ナチス・ドイツがポーランドに電撃侵攻して第2次世界大戦の口火を切ってから70年目。このポーランド侵攻に関しても、8月20日のロシア国営テレビは、独ソ不可侵条約を結んだ返す刀でポーランドに戦車を進めたナチス・ドイツの思惑について、ポーランドとナチス・ドイツが1934年に軍事協力などに関する秘密議定書を結び、ソ連に対抗しようとしていたとする「秘密議定書の秘密」と題するドキュメンタリー番組を放映。要するに戦争の非はポーランドにもあるとの説だ。署名したナチス・ドイツとソ連の外相の名前から「モロトフ・リッベントロップ協定」とも称される1939年8月23日締結の独ソ不可侵条約。この条約に付随する秘密議定書では、東欧・バルトにおける独ソ両国の勢力範囲が線引きされた。ナチス・ドイツは9月1日、ソ連は同17日にポーランドに侵攻し、東西から同国を分割占領した。条約は1941年6月の独ソ開戦で破綻した。
1939年10月、東西から国土を蹂躙されたポーランドでは、同国将兵を中心にポーランド人2万人以上が虐殺される「カチンの森」事件が発生。当初はナチス・ドイツの仕業とされたが、旧ソ連は1990年になってソ連軍による虐殺だったと公式確認。しかしロシアは、ポーランド侵攻はナチスに対する防衛という立場から「戦争責任はない」との主張を変えていない。「過去の事実に背を向け未来の関係を築くことはできない」とポーランド側は不快感をあらわにしているそうだが、どこかで聞いたような文句ではある。「勝てば官軍」という言葉は決して死語ではない。
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