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2009-09-09 00:00
(連載)北方領土の国後、色丹両島を訪ねて(1)
茂田 宏
元在イスラエル大使
8月27日から8月31日の間、国後島と色丹島に、いわゆるビザなし訪問団の一員として行ってきた。岡山県民会議が中心になって組織したもので、団長が岡山県民会議の西森さん、副団長が徳島県民会議の岡本さんで、総勢60名の訪問団であった。選挙の関係で国会議員の参加はなかった。8月27日夜、国後の古釜布に着き、翌日上陸、友好の家(いわゆるムネオ・ハウス)にチェックインした後、行政府でコワリ地区長を表敬訪問、その後、保育園、地区図書館、地元新聞社、古釜布日本人墓地、材木岩(岩が柱のようになっている景勝地)に行った後、行政府のホールで地元住民との交流会(日本の子供の遊びを紹介するもの)を行った。
その後、ホーム・ビジットということで、私は団長などと一緒にモナストィルスキーさんの家族を訪問、夕食をごちそうになった。8月29日は、ローソク岩、自然保護区クリーリスキー、メンデレーエフ空港、東沸日本人墓地、オリコノモイ崎(白い岩が広がる景勝地)に行った後、行政府ホールで地元住民との意見交換会を行った。その後、買い物をした後、友好の家でコワリ地区長など国後の行政府の要人との夕食会をした後、船に戻り、色丹島に向かった。
8月30日朝、色丹島穴澗村に上陸、水産加工工場を見学の後、文化会館でセディフ村長出席の歓迎式、その後、日本の人道支援の発電所、穴澗中等学校を見学した。午後は斜古丹村に移動し、日本の人道支援の診療所、日本人墓地、教会を見学後、穴澗に帰り、商店を視察のあと、レストランでセディフ村長などと夕食交流会があった。その後、船に戻り、再度国後島古釜布に戻り、8月31日に古釜布から根室に戻ってきた。今年1月27日、日本側が人道支援物資を届けるために国後に行ったが、ロシア側が
入国カードの記入を求め、日本側がそれを拒否、物資を持ち帰るということがあった。その後、日ロ間で話し合いが行われ、入国カード記入問題は解決された。
6月11日衆院、7月3日参院で、全会一致で「北方領土は日本の固有の領土」ということを明記した法律案が可決されたことに、ロシア側が反発した。これに関連し、今年の択捉訪問団に対して、択捉島が受け入れ拒否を表明した後、それを撤回するという事件もあった。さらに8月7日には、ロシア外務省が北方領土への日本の人道支援の受け入れ中止を駐露日本大使館に通告してきた。しかし、私が参加した今回の訪問は特段の問題もなく、ロシア側の態度も友好的なものであった。(つづく)
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