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2009-09-06 00:00
JR西日本山崎社長の投じた一石
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
JR西日本は、福知山線での事故をめぐって「発足以降の経営基盤に由来する企業風土・体質に内在する問題」、すなわち「ゆとりのない企業運営」、「過度の上意下達」を挙げ、「様々な組織的・構造的課題があったことを率直に反省し」て、初代・二代の社長との顧問契約を「責任を明確化するため」に打ち切った。山崎現社長のこの判断自体の事実上の当否は別にして、この声明・あるいは総括が、日本の企業風土、さらには官・民のなれ合い風土にもたらすであろう影響は、極めて大きなものがあるだろうと思う。というより、ぜひそうあってほしいものだと思う。
核持ち込みをめぐって、日米に密約があろうとなかろうと、現在の外務省幹部には何の罪科もない。同様に、厚生年金の徴収漏れ、あるいは台帳不記載などという言語道断なことが起っても、当時の責任者には何のお咎めもない、という風土に一石を投じたことになるからだ。時効、という話はある。のみならす、今回の初代・二代のJR西日本社長にしても、顧問契約(年俸いくらであったかは公開されていないが)を打ち切られただけで、退職金を返納する訳でもなければ、刑事責任を問われる訳でもない。しかし、自らが経営責任の衝に当たっていたときの理非曲直を、退任後にも問われる、あるいは少なくとも道義的に問われる、ということの意味は、極めて大きいように思う。放漫経営がたたって、優良企業を真っ赤っかにした経営者が、これまで責められたケースは、せいぜいで解任騒ぎであったことはよく知られている。
ことは民間企業に留まらず、中央官庁の最高職位であるところの「事務次官」は、本来1年限りの職位であって、その就任中に行った判断は後にその是非を問われることはなかった。早い話が、ある年は放漫財政でそれゆけどんどんであって、次の年に緊縮財政に転じても、それ故に放漫路線を採った次官が責任を問われるなどということは、想像することさえできなかった。JR西日本が現在純民間会社であるか、それとも株式はクニが依然として保有しているかは詳らかにしない。しかし、親方日の丸とはいわないまでも、かなり官と民との中間に位置すると見なされるこの会社でのこの決断は、大きな歴史的意味を持つ。
責任を問われることなく漫然と業務を執行する役人や、役人上がりに、「そうはゆかないのだよ」と警鐘を鳴らしたというのなら、JR西日本の山崎社長の決断は、日本の官民癒着に大きな疑問符を投じたもの、と後世に記憶されるべきだろう。どこかの大臣が、どこかの社長が、「気に入る」とか「入らない」とかわめいたのとは、訳が違う。もちろん、どこかの国の大統領のように、辞めた途端に逮捕されたり、投獄されたりするのが良いといっている訳ではない。例によってそのあたりの兼ね合いは難しいところだが、緊張感がまるでないというのも、これはこれで困ったものなのだ。
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