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2009-08-28 00:00
(連載)地方分権のあり方を考える(3)
水野 勝康
特定社会保険労務士
民主党は都道府県を廃止し、現在の市町村を300の基礎自治体に再編することを主張していた。かつて新進党も同じ公約を掲げていたことがある。新進党では、300の市が衆議院の小選挙区300に対応するものとされていた。恐らく、民主党の基礎自治体300というプランも、衆議院の小選挙区に対応させることを前提としているのだろう。市町村を300に再編すれば、ひとつの自治体の規模はかなり大きくなる。衆議院の小選挙区をモデルにすると、人口は40万人程度となる。この点で、自治体の規模を大きくすることで、事務の効率化が可能になり、市長や議員の数も減らせるという算段であると思われる。
しかし、一方でデメリットも多い。まず、現在の衆議院小選挙区をベースにある程度人口を均衡させた上で基礎自治体を構成すると仮定した場合、多くの市町村を強制合併させなければならなくなる。現在の小選挙区の区割りでは、地域的一体性も何も無い市町村がひとつの選挙区となっているケースが多々見られる。これがそのまま基礎的自治体に再編された場合、問題を起こすのは目に見えている。「平成の大合併」で成立した自治体で、既に様々な問題が起きている。例えば、さいたま市に再編された旧大宮市の場合、かつてあった施設が次々と閉鎖され、サービスは旧浦和市に集中し、旧大宮市民曰く「大宮市が浦和市に植民地支配されているような状態になっている」という。合併そのものに疑問が呈されるケースでもあり、「合併が必ずしも住民の福祉に資するとは限らない」と言わざるを得ない。
また、明治時代に合併した市町村でも、更にその昔から続く自然発生的な部落意識から、かつて村であって地区同士が対立し、「町長をA地区から出したら、次はB地区から出す」というような慣行が続いているところもある。合併から百年を経ても、地区同士の対立意識が消えていないところも多い。現在ではさすがに居住する地域への帰属意識は低下してきてはいるが、地域の対立感情を無視して地方政治をしていくのは簡単ではない。自治体を合併させることは難しいが、もっと難しいのは分割である。もし、基礎自治体を300にするとなると、横浜市や名古屋市のような政令指定都市は分割するということが考えられる。法律上は、特定の地域を独立させることもできないことはないが、その例は少ないが、実際問題困難であろう。基礎自治体を300にするということは、道州制の導入以上に困難であると言える。仮に国が自治体の合併・分割をするようなことになれば、そうやって作られた自治体は、もはや住民自治のための自治体とは言えないものになってしまうのではないか。道州制に伴うデメリットが、ほぼそのまま基礎自治体300案にもあてはまる。
地方分権のあり方を考えると、そもそも何のための地方分権なのかを改めて考える必要があるように思われる。単純に都道府県や市町村を合併させたり、分割したりすれば済む、という話ではない。どうも与野党の地方分権では「効率」が重視されているが、いかにして住民の意思を地方自治に反映させるかということについて、それに相応しい自治体の規模や制度の構築といった視点が欠けているように思われる。また、地方分権の担い手となる首長や地方議員の考え方にも温度差がある。「地方分権」である以上、地域や自治体からまず声を出し、その上で取りまとめていったほうが、地方の実情にあった改革になるのではないか。少なくとも、国が一方的に決めて押し付ける筋合いのものではない。(おわり)
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