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2009-08-21 00:00
総選挙で無視できない「風」の要素
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
解散から告示・総選挙まで史上最長といわれる期間を設けたのは誰の知恵かは知らないが、自民党にとっては最善の選択であったように思う。流石に強かな党には知恵者がいるものだ。これは筆者の印象論に過ぎないからなんの根拠もないことは予めお断りしておくが、解散直後に総選挙があれば、民主党が「地滑り」的な大勝利をおさめたような気がする。麻生総理、そして自民党の化石のような領袖の言動にはすっかりしらけきっていたし、あれに較べれば猫でもマシ(失礼)というムードが瀰漫していたと思う。
それが日時をおくことによって二つのことが起った。一つは猫ならぬ鳩山さんを始めとする民主党の頼りなさ、とはいわないまでも若干のあやうさのようなものが見え始めたことだ。もとより完全完璧な政党とか政治家というのはありえない訳だから、そのこと自体は当然で、なにもびっくりするようなことではない。ただ、民主党のスローガンの最たるものの一つである「脱・官僚」「脱・霞ヶ関」が、それを実行しうる力量がこの党にあるのか、という現実的な判断材料が、少し表面化してきたとでもいえば良いだろうか。
これも考えてみれば当然のことで、政官べったりだった時代に較べれば、少しでもマシになれば以て瞑すべしのはずなのだが、そこはそれ、より完璧を求める、という世論風潮のなせる業もあることだ。この期間に、時代錯誤としか思われない国民新党から、福島瑞穂さんの彼女なりの歯切れの良さ、断然がんばる共産党、さらには渡辺喜美さんのYour Party、などなどの言説を耳にし、目にする機会が増えると、民主党の比較優位が加速したとはいいかねる状態ではないか。
二つ目は、ほとんど道化役者扱いをされていた(と筆者の目には映った)麻生太郎氏が「へえ、なかなかやるじゃん」とまではゆかないまでも、「ま、それなりか」と思わせる言動をするようになったことだ。8月17日の日本記者クラブでの党首論戦などはその好例だったといってよいだろう。これも何らの根拠があっていっている訳でもなく、筆者の独断と偏見によるものだが、あの場面では、麻生氏は少なくとも鳩山氏と対等に渡り合ったと見た人も多いのではないか。それが即ち自民党への順風に変わるとも思われないが、強烈な不快感、あるいは肩をすくめるような感じが減少しているのは確かだろう。もっとも、これは後2週間の間に、一度でも例の発言みたいなものを繰り返せば、簡単に元に戻るから余り確言はできないが。裏を返せば、マニフェストがどうの、どっちのほうがバラ撒きか、といった議論よりも、そうした「風」の要素が決して軽視できないということかもしれない。それが良いことか悪いことかは別にして、だ。
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