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2009-08-03 00:00
(連載)理解に苦しむ日本政府の対露政策(1)
袴田 茂樹
青山学院大学教授
わが国政府の対露政策に関しては、根本的な疑問がある。「北方領土は放棄してもよい、あるいは歯舞、色丹の2島返還で決着しても構わない」というのであれば、話は別である。あるいは、日露間では「経済関係が進みさえすればよい」というのであれば、これもまた話は別だ。以下は、経済関係の推進と平和条約問題解決の交渉は共に進め、「主権国家として、領土問題はどうしても解決する」ということを前提とした場合の議論である。
わが国はかつては、日露間の経済協力を進めるためにも、領土問題を解決して良好な雰囲気をつくる必要がある、という「政経不可分」の立場をとっていた。しかし、ロシア側の強い批判もあり、1980年代の末には領土交渉と経済協力は共にバランスをとりながら、発展させるという「拡大均衡」の立場に移行した。「重層的アプローチ」という言葉も使われたが、90年代以後、わが国は基本的には「拡大均衡」の立場に立っている。ただ、この間、対露政策に関する深刻な問題や間違いもあった。
一つは、プーチン大統領が初めて訪日した2000年前後に「平和条約締結後に歯舞、色丹を引き渡す」とした1956年の日ソ共同宣言を正面に出したアプローチを日本がしたことだ。このときすでにロシア側は、日ソ共同宣言の解釈について「歯舞、色丹の2島引き渡しで領土問題は最終決着」という公式的見解を明確に打ち出していた(1996年以降)。これは、1991年にゴルバチョフ大統領が訪日した頃と本質的に異なる点である。結果的に、日本は1956年宣言を前面に出すことで、間違ったシグナルをロシア側に送ることになった。今日のロシアは、この時のわが国の対露アプローチを逆手にとって、日ソ共同宣言だけを認める対日強硬路線を展開している。最近のイタリアでの麻生、メドベージェフ首脳会談にもそれが典型的に現れている。「2000年前後に北方領土が最も日本に近づいた」と述べる関係者もいるが、およそナンセンスな論である。
もう一つは、2003年の「日露行動計画」に象徴される経済協力重視の対露政策だ。「行動計画」では経済協力など盛りだくさんの日露協力を謳ったが、平和条約交渉は6つの柱の一つに格下げされ、ロシア側は「日本は経済的利害のを優先して、平和条約交渉を事実上棚上げした」と解釈した。それまでは、平和条約交渉は経済協力、国際戦略面での協力と並ぶ3つの柱の一つであったのだから、このアプローチは、明らかに日本が主張している「拡大均衡」の原則を自ら破るものであった。
近年ロシア側が、日本側とは逆の立場から「政経不可分」の立場を正面に出すようになっている。つまり、領土問題解決のためには、経済その他の面での協力を発展させる必要がある、という論だ。かつての出口論であり、わが国の入口論としての「政経不可分」論の裏返しである。事実上わが国は、このロシア側の出口論に従って経済協力を進め、その面ではここ数年日露間では飛躍的な発展がみられた。しかし、領土問題に対するロシア側の姿勢は逆に、近年ますます強硬になってきている。(つづく)
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