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2009-07-31 00:00
自民候補は「自活して生き延びる」しかない
杉浦正章
政治評論家
「まるで土石流だ」。選挙区に張り付いている自民党議員が、こう形容している。選挙基盤が土石流のように崩れているというのである。「頼りになるのは自分の足と声だけだ。党もマニフェストも関係ない」のだという。そうだろう。自民党そのものが真っ向から拒否されている選挙だ。報道機関で初の序盤情勢を明らかにした産経新聞によると、民主党が大幅に議席を伸ばし、第一党に躍り出るという。300選挙区で過半数に迫っており、比例代表でも自民党を上回る見通し。自民党では、現職閣僚や党幹部も当落線上にあると報じている。民主党幹部は「チルドレンが140人も生まれる」と豪語している。まさに自民党は敗戦直前の旧日本軍ではないが、「各自、自活して生き延びよ」の状態ではないか。
こういう選挙を、かって自民党は経験している。1983年11月18日の「田中判決解散」である。元首相・田中角栄に懲役4年の判決が出た後の選挙だ。世論が沸騰する逆風の中で12月18日に行われた選挙で、自民党は過半数を割り、首相・中曽根康弘は新自由クラブと連立して政権を維持した。自民党は敗退したが、田中は空前絶後の22万761票を獲得してトップ当選を果たしている。まさに「自活して生き延びた」選挙だった。田中は、普段の選挙は国家老の本間幸一に任せて、滅多に選挙区入りしなかったが。この選挙ばかりは違った。筆者は田中の選挙に同行してつぶさに見た。吹雪の中を沢の奥まで分け入り、20軒か30軒しかない集落を一つずつ訪ねて、蜜柑箱の上に立って演説をした。
最も奥の集落は、雪で車が動かず、田中は「これ以上は行けないが、皆さんが田中がここまで来たと伝えて欲しい」と演説した。一日の選挙運動が終わった後で、大きな炬燵に入った田中は、いっぱいやりながら本間から情勢を聞いた。炬燵の隅で聞いていたが、本間は既に空前の票が出ると予想していた。いま、全国で展開されているのは、まさにこういう選挙だろう。近ごろの若い議員、とりわけ追い風だけで当選してきた小泉チルドレンらは基本的に甘い。首相や党が当選させてくれると思い込んでいる。無理もない。先輩が選挙の仕方を教えないからだ。教えないどころか、中川秀直と武部勤のように、総裁を代えれば選挙に勝つような幻想をばらまく。
田中は、新人が来るたびに、「新人は東京にいなくていい。選挙区に貼りつけ。戸別訪問3万回、辻説法5万回」と教えた。いずれにせよ、選挙運動ばかりは、他力本願では一歩も進まない。そのことを、自民党議員らはひしひしと実感しているのだろう。この選挙は、閣僚はもちろん党首脳ですら落選するような、驚天動地が頻発する選挙だ。しかし、民主党も本当にチルドレンが140人も当選すれば、次の逆風でどうなるかは目に見えている。小選挙区制は、政権交代が頻繁に起こり、政権が不安定になる。選挙の定理が証明される時代となった。
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