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2009-06-22 00:00
(連載)どこへ行くイラン(1)
石川 純一
フリージャーナリスト
時は大英帝国を頂点とする欧州列強の植民地主義が全世界を跋扈していた時代。英国人ウィリアム・ダーシーは1901年、まさに20世紀が始まった年に、ペルシャ(現イラン)の皇帝から石油採掘の利権を獲得した。ダーシーは7年余の試掘を重ね、1908年、ついにイラン南部で油田を発見する。石油利権とその石油利権を巡る各国の抗争のタネが、ここにまかれたのだ。
このとき、ダーシーはアングロ・ペルシャン石油という採掘・供給会社を設立した。これが、現在の石油メジャー、ブリティッシュ・ペトロリアム(イギリス石油、BP)のそもそもの始まりだ。英国は1914年、第1次大戦で使用する燃料確保のため、400万ポンドもの大金を出してアングロ・ペルシャン石油株式の50%以上を獲得、半官営化した。この状態は、同社が1970年代に完全民営化されてBPとなるまで続いた。
ちなみに、日本タンカー史をひもとくと、1921年(大正10年)に建造された日本初の本格的な民間外航油槽船「橘丸」が、当時の満州・大連で大豆油を満載してロンドンに赴き、帰路にイラン・アバダンでこのアングロ・ペルシャン石油から8000トンの石油を購入、帰国している。アバダンは、イラン南西部のペルシャ湾に注ぐシャトルアラブ川の東岸に臨む河港都市。イラン革命の火の手は、1978年に最初にここで上がった。のちにイラン・イラク戦争に巻き込まれる。
第1次世界大戦で大英帝国の対枢軸国戦を支え、第2次世界大戦でも英国をはじめとする連合国側の対ナチス・ドイツ戦を支える大きな要素となった中東石油は、そのまま石油利権抗争史として世界史上に刻まれる。BP、モービル、エクソン、ロイヤル・ダッチシェル、テキサコ、ガルフ、ソカールのセブン・シスターズ(国際石油資本)の手に落ちた中東石油だが、1973年の第4次中東戦争でそのタガが緩み始める。そして1979年のイラン・イスラム革命。前年にアバダンで上がった火の手が、盤石を誇ったパーレビ王政を倒したのだ。(つづく)
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