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2009-06-07 00:00
文明と価値観:その栄枯盛衰
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
GMが経営破綻だとか、そのかみのクライスラーの身売りだとか。1940年代から50年代にかけてのアメ車全盛時代を知る世代の生き残りとしては、感一入なものがある。デソートのナイアガラのグリルラインとか、ピンと跳ね上がったハドソンのテールランプ。トランザムのスポーツカーなんて言うのはついこの間まで名車といわれていたのではなかったか。人気テレビ番組「サンセット77」のオールバックのクーキー君が乗り回すスポーツセダンがアメ車でない、なんて事はあり得なかった。その頃の日本車たるや、アメリカのハイウェイに持ち込んだら、30分と持たずオーバーヒートしただの、走行中にバンパーが吹っ飛んだの、という時代だ。
男子たるもの、3日見なければ激変する。自動車産業がこの半世紀の間に様変わりを遂げた、なんていうのは珍しい話でもなんでもない。80年代には既に「クルマなら日本車にしなよ」なんて米国駐在員が現地スタッフに忠告されていた時代だ。アリとキリギリスの話をしたい訳でもなければ、栄枯盛衰を平家物語並みにここで取り上げたい訳ではない。そうではなくて、文明にはライフサイクルというものがあるのではないか、ということである。シュメール・アッカドからエジプト、さらにはイスラーム大勢力圏から大英帝国まで、歴史上の事件として記憶されてきた。それをわれわれは現在進行形のドラマとして目撃しているのではないか、と問うてみたいのだ。
さらにいえば、文明は常に特定の価値観を伴う。あのデトロイトの危機状況に際して、何億円というボーナスを取ってなんら恥じるところない自動車メーカー経営者。これを日本的価値観で批判するのは訳ないが、もしかすると古代エジプトとラー信仰が切り離せないのと同じように、あれはデトロイトの繁栄と表裏一体のものではなかったかと考えるのだ。
「いいとこどり」は出来ない。長所と短所はワンセットで受け入れる他はないのかもしれない。だとすると、日本の繁栄と凋落、その未来はどうなるか、という予測以上に、一体我々は何が大事で、何はうつろっていっても良いと考えているのだろうか。文明と価値観が一体ならば、文明を通じて価値観を見るのも可能だが、逆に価値観から文明の将来を見通す事も可能ではないか。官僚主導の効率主義と仲間で作る市民社会。利便さと合理主義なのか、美しさとの調和なのか。もちろん二項対立である訳はないし、またあるべきでもない。しかし、わづかながら「どちらのほうをとってみたいのか」と自分に問いかけてみるのは、来るべき文明を選択する前に、やってみてもよいことではないかと思う。
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