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2009-05-10 00:00
(連載)日本のソフト・パワーとしてのサブカルチャー(3)
水野 勝康
特定社会保険労務士
外国人に「日本文化」を代表する言葉を挙げさせると、サムライ(侍)、ハラキリ(切腹)、フジヤマ(富士山)、ゲイシャ(芸者)、ニンジャ(忍者)、キモノ(着物)というような言葉を挙げる時代があった。さすがに、最近では外国で「日本に忍者はいないのか!」と驚かれることは少なくなったらしいが、外国人の考える「日本文化」は、ともすれば日本の伝統的な文化がベースになって、それに「想像」が加わったものが多い。外国人ながら温泉や相撲を楽しみ、埴輪と土偶の違いまで指摘できたジャック・シラク前フランス大統領や、武士道について熱く語り、著書も出している李登輝元台湾(中華民国)総統のように、日本文化を正確に理解しているのは、首脳レベルでみればまだ例外である。
もっとも、日本人の側も「日本文化」について聞かれると、歌舞伎、能、狂言、茶道、華道などを挙げるひとが多かった。しかし、それでは日本の「伝統文化」をどれだけの人が理解しているかと言うと、甚だ疑わしい。歌舞伎や能に詳しい日本人など実際にはほとんどいない。学校教育でも実際に能を鑑賞したり、茶道を体験するということはまずない。せいぜい歴史の授業で、能なら世阿弥、茶道なら千利休という名前を機械的に覚えさせられるくらいであろう。和服も日常生活では着用されなくなった。女性でも着るのは成人式と卒業式くらいなのではないか。日本の伝統を体現し、伝統の中に生きているように見える天皇陛下にしても、実は洋装が普通で、和服を着用されることはないそうである。
これに対して、アニメや漫画と言ったサブカルチャーは、より裾野が広い。今の40代以下の人々にとって、物心ついた頃から国産のアニメや漫画はごく身近な存在であった。30代より若い世代は、これに家庭用ゲーム機が加わる。多くの日本人にとっては、伝統的な文化よりも、サブカルチャーの方が身近な存在であると言える。身近な存在と言うことは、日本人としてより「自分の言葉」で説明しやすい存在だということだ。また、外国人にとっても比較的「とっつきやすい」存在と言える。日本に興味や関心を持っている外国人に尋ねると、その多くが日本の漫画やアニメに触れたことが、日本に関心を持つきっかけになっていることに驚かされる。私の友人には、日本の漫画やアニメを観たい一心で、日本語を勉強し、日本語の翻訳を生業にしてしまった猛者もいるくらいだ。
漫画の場合は、翻訳することによって日本語の文章は基本的には消えてしまうのだが(擬音語が日本語のままということはある)、アニメは吹き替えを行わずに、字幕を付けるだけで済ませるケースも多い。例えば台湾では、多くのアニメが吹き替えではなく、字幕を付けるだけで放映されたり、販売されたりしている。台湾ではもともと一般市民生活では台湾語が使用され、戦後国民党政権が「国語」として北京語を公用語にしたのだが、この北京語の普及のため、映画やTV放送には原則として字幕をつけることが普通であった。台北の映画村に行くと、今でも字幕を付けるための機械が展示してある。台湾で字幕がもともと普及していたこと、日本ほど声優の層が厚くないこともあって、手軽な字幕が普及したのではないかと思われる。字幕を見ながら日本語を聞くため、自然と日本語の勉強になるようだ。アニメが日本語・日本理解への入り口になっている好例であろう。(つづく)
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